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冷徹なる眼差し、優しさなき時代の告発者──ミヒャエル・ハネケ論

  • 執筆者の写真: Yu-ga
    Yu-ga
  • 5月25日
  • 読了時間: 6分

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「映画は、現実を映すべきではない。現実の“仕方”を映すべきだ」——ミヒャエル・ハネケ


 この言葉を座右の銘に掲げる監督が我々の時代にどれだけいるだろうか。映画とは娯楽であるべき、という前提を真っ向から拒絶し、映像とは、観るという行為とは、そこに含まれる責任とは何かを根源から問い直す。そんな姿勢を30年以上にわたって貫き通してきた映像作家──ミヒャエル・ハネケは、まさに現代映画界における“倫理の異端児”と言っていい。


■ “暴力”を語らないために“暴力”を撮る

 ハネケが描く暴力はジャンル映画的なスペクタクルとは無縁である。それは恐怖のための暴力ではなく快楽のための暴力でもない。むしろ暴力の“不在”こそが彼の映画の緊張感の源泉である。最たる例が『ファニーゲーム』だ。観客は、暴力が「起きるのではないか」という予感に満ちた沈黙の中に長時間閉じ込められる。カメラは逃げもせず、説明もせず、ただ「観ている者がどう反応するか」を突きつける。

 興味深いのは、この作品のアメリカ版(『Funny Games U.S.』)でも、演出が一字一句ほぼ同じだという点だ。観客の国籍が違えば反応も変わるのか? 映画の文脈は文化を超えられるのか? ハネケはあえてその実験を“ハリウッド”という巨大な映像装置の中で試みた。

 彼は一貫して映像が人間の想像力に与える影響力を強く問題視している。特にメディアが暴力をどう“演出”するか、それによって人々がどのように“麻痺”していくかに対する批判はすでに1992年の『ベニーズ・ビデオ』の段階で鮮明に描かれていた。ここでは家庭用ビデオカメラという一見無害なメディアが、人間性をいかに削り取るかを執拗に追いかけていく。主人公ベニーの無表情、そして彼が撮る映像に映し出される死。それは現代における「目の倫理」の崩壊の予兆でもあった。


■ 現代社会の空洞化──“白いリボン”の向こう側

 2009年の『白いリボン』は単なる歴史劇ではない。むしろ20世紀の暴力の根源を“無意識のしつけ”や“権威の内面化”に求めた寓話的作品である。舞台は第一次世界大戦直前のドイツの農村。神父、医者、教師という“善き社会の守護者”たちが、じわじわと子どもたちに倫理を刷り込んでいく。

 だが、その倫理とは果たして“正しさ”か? むしろそれは絶対服従と羞恥心の強要によって構築された「思考を放棄した善」だったのではないか。ハネケの問いは観客を過去の歴史へと導くのではなく“いま私たちがいる場所”へと立ち返らせる。 私たちは本当に過去の暴力から学んだのだろうか? それとも、より巧妙に、より見えにくい形で、それを温存し続けてはいないだろうか?


■ “見ること”の不安と信頼──『隠された記憶』と“監視する目”

 ハネケは“観る”という行為そのものを映像の主題に据える。特に2005年の『隠された記憶』では、監視カメラの映像と映画の“フィクション”が交錯する不穏な構造が展開される。

 主人公は謎のビデオテープによって過去の加害を突きつけられる。だが加害の事実すら曖昧なまま物語は静かに収束していく。説明はなされない。不安は残ったまま。

 これはハネケの“倫理”でもある。映画は「答え」を与える装置ではない。問いを残す装置であるべきだという哲学だ。多くの監督が感情の高まりで映画を終える中、ハネケは「映画が終わったあと」にこそ観客の仕事が始まると信じている。


■ “冷たさ”の奥に潜む“”という名の赦し

 一見冷酷な作風の中にハネケはときおり驚くほど繊細な“愛”のまなざしを差し込む。その極点が2012年の『愛、アムール』だろう。長年連れ添った老夫婦の一方が病に倒れやがて介護と別れの時間が訪れる。

 ここにはハネケにしては珍しく、直接的な暴力も構造的な罪も登場しない。だが、だからこそ彼のカメラが描く“人間の脆さ”と“時間の残酷さ”は観る者の心を直撃する。

「本当に愛しているなら、いずれその人を殺すことになるかもしれない」

 この作品は、そんな極限の状況を描くことによってむしろ人間がどれほど誠実に他者と向き合えるかを静かに肯定している。ハネケはただ暴力を描く監督ではない。暴力を超えた先にどれだけの“思考”と“痛み”を引き受けることができるかを問う作家なのだ。


■ ハネケ映画は“信じること”を考える映画である

 ハネケの映画を観るという行為は決して楽ではない。それは緊張を強いられ、問いを投げ返され、安易な結論を与えられないまま席を立つことを意味する。だが、それでも私たちは彼の作品に惹かれる。

 なぜか?それは彼の冷たさの中に、観客への“信頼”があるからだ。ハネケは観客を愚か者として扱わない。むしろ最も深く考える力を持つ存在として正面から対峙する。映画をただの“時間つぶし”に終わらせない。その強い意志が彼の全作品に脈打っている。映画が思考の場である限り──ミヒャエル・ハネケはこれからも我々にとって最も信頼すべき不快な教師であり続けるだろう。



■ 主要フィルモグラフィー

作品タイトル(原題)

備考

1989

Der siebente Kontinent

第七の大陸(長編デビュー)

1992

Benny's Video

メディア批判と暴力の記録

1994

71 Fragmente einer Chronologie des Zufalls

偶然性の連鎖

1997

Funny Games

暴力の構造を暴く

2000

Code inconnu

多文化・多言語社会の断片

2001

La Pianiste

『ピアニスト』、性的抑圧と母子関係

2003

Le Temps du loup

終末的寓話

2005

Caché

隠された記憶、罪と無自覚の歴史

2007

Funny Games U.S.

アメリカ版リメイク

2009

Das weiße Band

白いリボン──ナチズムの予兆

2012

Amour

愛、アムール──老いと尊厳の物語

2017

Happy End

家族とメディア時代の終焉


■ ハネケ監督の出自

 ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)は1942年3月23日にドイツ・ミュンヘンで生まれたが、オーストリア育ちであり映画監督としてのアイデンティティも主にオーストリア人として認識されている。


■ 家族と文化的背景

ハネケの出自は非常に芸術的な家庭環境に根ざしている。

  • 父:フリッツ・ハネケはドイツ系の俳優兼演出家。舞台芸術の世界に深く関わっていた。

  • 母:ベアトリクス・フォン・デーラはオーストリアの女優。上流階級出身であり、ハネケ自身もウィーンのブルジョワ的な文化に幼少期から触れて育った。

 こうした家庭環境からハネケは早くから芸術、特に演劇と文学への関心を持つようになった。


■ 学問とメディアとの関わり

 ハネケはウィーン大学で哲学、心理学、演劇学を学んだが、学位取得前に中退。その後、オーストリア国営放送(ORF)でテレビ映画やドラマの演出を手がけるようになった。

  • このテレビ時代(1970年代〜1980年代)に、ハネケは後の映画作家としての視点──特に映像と言葉、倫理とメディアの関係性──をじっくりと培う。

 テレビ出身の映画作家というとジャン=リュック・ゴダールや黒沢清などが想起されるが、ハネケの場合は映像がいかに「観る者の想像力を歪め得るか」という問いに、より強い倫理的こだわりをもって向き合っている。


■ 影響と美学的スタンス

 ハネケが影響を受けた人物としては以下のような作家や思想家が挙げられる。

  • ロベール・ブレッソン(ミニマリズムと冷徹な映像美)

  • アントニオーニ(不在の美学)

  • ベルトルト・ブレヒト(観客の距離化、ヴェルフレムドゥング効果)

  • フロイトとラカンの精神分析理論(特に『ピアニスト』に顕著)

 こうした知的バックボーンは彼の冷徹なカメラワーク、説明を排除した編集、登場人物の内面を観客に“強制的に読ませる”演出に直結している。

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