『ジェーンに何が起こったか』──“夢の終わり”に取り残された者たちの肖像
- Yu-ga

- 5月21日
- 読了時間: 5分
更新日:5月23日

🎥 『ジェーンに何が起こったか(原題:What Ever Happened to Baby Jane?)』
監督:ロバート・アルドリッチ
撮影監督:アーネスト・ホーラー
出演:ベティ・デイヴィス、ジョーン・クロフォード、ヴィクター・ブオノほか
公開年:1962年(アメリカ)
ジャンル:サイコロジカル・ホラー、スリラー
上映時間:134分
映画は幻想工場であり、かつてそこに立っていた者の孤独は、誰よりも深い。『ジェーンに何が起こったか』はハリウッドの“表”ではなく“裏”を暴いた稀有な映画だ。しかもその裏側にかつて輝きを放った2人の大女優——ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードが自ら身を投じているという点で、より一層物語に凄みを与えている。
この映画が作られた1962年、ハリウッドは変革期にあった。スタジオシステムは崩壊しつつあり、新しい波(ニュー・ハリウッド)の兆しも見え始めていた。年を重ねた女優にとっては役どころが激減し、スクリーンに戻るには勇気と代償が必要だった。『ジェーンに何が起こったか』はそんな中で生まれた“復讐にも似たカムバック劇”だった。
■ストーリー概要:家という名の牢獄
かつて「ベイビー・ジェーン」として大人気だった子役スター、ジェーン・ハドソン。成長とともに人気は急落し、代わって映画女優として成功を収めたのが妹のブランチ・ハドソンだった。しかしある日、ブランチは交通事故で下半身不随となり姉妹は共に広いが薄暗い邸宅に閉じこもって暮らすことになる。
表面上は姉が妹の世話をしているように見えるが、実際にはブランチは姉の支配と虐待に苦しんでいた。かつてのスターであることに執着し、現実を受け入れられないジェーンは徐々に精神的に崩壊していく——。
物語はまるでサスペンス小説のように進行し、観客は「この家で本当に何があったのか?」という疑念と緊張感に苛まれ続ける。
■制作背景:確執とキャスティングの火花

この作品は、もともとヘンリー・ファレルの同名小説をロバート・アルドリッチが映画化したものだが、最大の話題は主演女優の人選だった。
ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォード——ハリウッドを象徴する女優でありながらプライベートでも確執の絶えなかった二人。キャスティング段階から火花は散っており、撮影中には互いに陰湿な嫌がらせも日常茶飯事だったという逸話が残る。例えばあるシーンでデイヴィスがクロフォードを蹴る場面では、実際にあざが残るほどの本気の蹴りを入れたとされ、逆にクロフォードはデイヴィスの腰に負担がかかるようにベルトに重りを仕込んだという報復もあった。この不穏なリアリティが作品の狂気をより鮮明に映し出している。作り物ではない“本物の敵意”がカメラに焼き付けられているのだ。
■演技分析:演じるのではなく“なる”女優たち
ベティ・デイヴィスが演じるジェーンはある意味で自画像に近い。化粧に執着し、過去の栄光を引きずり、今もなお“少女スター”であるかのように振る舞う。あまりにも厚く塗られた白粉、奇妙なカールの金髪、ぶりっ子じみた口調。彼女の演技は滑稽でありながらも、どこか痛ましい。
ジョーン・クロフォードのブランチは一転して静的な存在。言葉少なに視線と間で心情を伝える演技は、キャリア晩年の集大成とも言えるほど緻密だ。観客は部屋に閉じ込められたブランチに同情しつつ、時折見せる“意味ありげな表情”に不気味な違和感を覚えるだろう。
この二人の演技が正面からぶつかり合う瞬間——それこそがこの作品最大の見どころだ。
■撮影・美術:モノクロが描く心の闇
撮影監督アーネスト・ホーラーのモノクロ映像は、観客の精神にじわじわと染み入る。影が深く、光は乏しい。古びた屋敷の階段や窓枠の陰影は心理的な牢獄そのものであり、観客はまるでその屋敷の中に閉じ込められたような感覚を覚える。
モノクロだからこそ白粉が不気味に浮かび上がり、血の赤ではなく“黒い狂気”として視覚的に訴えかけてくる。色の情報を削ぎ落としたことで恐怖はより内面的に、抽象的に観る者の心に迫る。
■主題と象徴:老い、過去、嫉妬、そして「忘却」

『ジェーンに何が起こったか』は単なるスリラーではない。この映画の本質は、老
いと忘却に対する恐怖だ。“かつてのスター”が過去の亡霊に取り憑かれ、現実とのギャップに苦しみながら過去を再現しようと足掻く姿は現代に生きる我々にも深く刺さる。また“姉妹”という最も近しい存在の中で芽生える嫉妬と罪悪感。映画が進むにつれて明かされるある“真実”は被害者と加害者の立場すら揺さぶる。
■文化的影響と後世への遺産
この映画はその後、多くの文化的影響を残した。
“「ハグ・ホラー」(Hagsploitation) ※年配の女性が主役の恐怖映画 ”
というサブジャンルを確立し、『ミザリー』や『ブラック・スワン』といった後年の作品に多大な影響を与えた。また、ベティ・デイヴィスの“狂気顔”はポップカルチャーのアイコンにもなり数々のパロディやオマージュを生んだ。
2017年にはライアン・マーフィー制作のドラマ『Feud: Bette and Joan』で舞台裏の確執が再現され、再びこの作品に注目が集まった。
『ジェーンに何が起こったか』を観終えたとき、誰しもが一瞬自分と重ねてしまうだろう。老いを恐れたことは?他人の成功に嫉妬したことは?過去に囚われたことは?——そして誰かを支配、もしくは支配されたことは?
この映画の恐怖は決して遠い世界の話ではない。だからこそ半世紀以上経った今でも、その影はなお濃く深いのだ。


