『マッドボンバー』──爆弾魔とアメリカン・ナイトメア
- Yu-ga

- 5月24日
- 読了時間: 5分
更新日:6月5日

🎥『マッドボンバー(原題:The Mad Bomber)』(別題:The Police Connection)
監督:バート・I・ゴードン
撮影監督:クレイグ・バクスター
出演:チャック・コナーズ、ヴィンセント・エドワーズ、ネヴィル・ブランド
公開年:1973年
ジャンル:クライム・スリラー / エクスプロイテーション / サスペンス
上映時間:91分
1970年代初頭のアメリカ。ベトナム戦争が長引き、社会は不信と疲弊に満ち、映画もまた社会不安の投影として暴力と狂気を映し出すようになった。その中でも、チャック・コナーズ主演の異色クライム・スリラー『マッドボンバー(The Mad Bomber)』は時代の影を濃厚に反映した作品だ。
この映画は正義を失った中年男が爆弾という“手段”で個人的な倫理を貫こうとする異様な犯罪劇であり、同時に70年代都市型犯罪映画の重要な一角を成す作品である。
■復讐の炎が静かに燃える
ウィリアム・ドーンはかつての善良な市民だった。しかし娘がドラッグの犠牲になったことで、その理性が音を立てて崩れ始める。彼の怒りは社会そのものに向けられ、やがて彼は爆弾を仕掛けるという形で"正義"を行使し始める。
だがある事件現場で爆破の目撃者が性的暴行を行っていたことが判明。フランク刑事は爆弾魔を追いながらも、証言を引き出すためにこの目撃者を保護しなければならないという倒錯した構図に巻き込まれていく。
ここで本作は、単なる犯罪映画の域を超え「どの暴力が正義たりうるのか?」という倫理的命題を我々に突きつけてくる。
■正義と狂気の狭間で
・ウィリアム・ドーン(チャック・コナーズ)
チャック・コナーズは元スポーツ選手としての毅然とした立ち姿を保ちながらも、内側で煮えたぎる狂気を抑制的に演じる。彼の冷たい目線、微笑み、そして無言の間が彼の歪んだ正義感と哀しみを浮かび上がらせる。
・フランク刑事(ヴィンセント・エドワーズ)
一見、典型的な刑事役だが、実は事件とともに精神的に崩れていく。彼の追跡は正義のためか、それとも自らの苛立ちをぶつけるためか。演技の中に潜む微妙な感情表現が映画全体に不安定な緊張感を与える。
・目撃者(ネヴィル・ブランド)
彼の登場は不快感そのもの。だがその不快感が観客に対して「誰を信じ、誰を裁くべきか」という根源的な問いを突きつける。
■映像美と演出:低予算が生んだリアリズム
クレイグ・バクスターの撮影は、ロサンゼルスの街をノワール的な光と影で描き出す。ハンドヘルドによる揺れる画面や、夜のシーンに漂う静けさが逆に爆破シーンの緊張感を増幅させる。照明は最小限に抑えられ街のネオンや蛍光灯がリアルな光源として使われる。
バート・I・ゴードンの演出は、特撮で培った「非現実の中のリアルさ」を逆手に取り、今作では徹底した現実主義に徹する。モンタージュや過剰な演出を廃し、淡々と、だが鋭利に進むカットの連続が本作の心理的な深みを形成している。
■音楽:抑圧と緊張を音にするスコア
『マッドボンバー』の音楽は豪華なオーケストレーションや印象的な主題曲とは無縁である。むしろ低予算映画にありがちな簡素なサウンドトラックであるが、それが逆に作品の不安定さと緊張感を強調している。
アラン・ライリーによるスコアはシンセサイザーや打楽器を多用し、冷たく乾いた都市の音風景を構築している。特に爆弾が仕掛けられるシーンでは不協和音が耳を刺すように鳴り響き、観客にじわじわと迫る恐怖を呼び起こしている。
また、静けさそのものがBGMとして機能するシーンも多く、音楽の「不在」が逆に強い存在感を放っている。これは70年代スリラーに共通するスタイルであり、当時の観客にとってはかえってリアルに感じられたものである。
■配給と流通:エクスプロイテーション映画の運命
『マッドボンバー』は、大手スタジオではなく、Centaur Releasingというインディペンデント系の配給会社によってリリースされた。この会社は主にエクスプロイテーションやグラインドハウス向けの映画を扱っており『マッドボンバー』もその例外ではない。
公開当初は全米各地の二番館やB級映画専用の劇場、さらにはドライブイン・シアターなどで細々と上映された。広告もほとんど出回らずポスターには「From the director of THE AMAZING COLOSSAL MAN!」などと記載され、バート・I・ゴードンの特撮映画時代の知名度に頼る形が取られていた。
その後、ホームビデオ時代に突入しVHSとしてリリースされることでカルト的な人気を集め始めた。現在では一部の映画ファンや70年代犯罪映画の研究者によって再評価されており、限定的ながらDVDやBlu-ray化もされている。
■当時の評価と現在の位置づけ
公開当初『マッドボンバー』はセンセーショナルな題材と不快な映像表現から、評論家たちに冷たく迎えられた。しかし今見返してみれば、むしろ本作は当時のアメリカが抱えていた暴力、正義、社会構造のひずみを鋭く切り取った一作だったとわかる。
爆破=エンタメという単純な構図を拒み、暴力の行使者の孤独と絶望を描いた点で本作は『タクシードライバー』や『セルピコ』といった名作群とも共鳴する側面を持つ。
■B級の仮面をかぶった社会派スリラー

『マッドボンバー』は明らかにB級映画である。予算は限られ、演出も簡素で俳優も決して豪華ではない。しかしその制約の中で生まれたリアリズムと緊張感、そしてチャック・コナーズの渾身の演技は観る者の心に静かな衝撃を与える。
爆弾を仕掛けるのは彼だが、その導火線に火をつけたのは果たして誰なのか? 社会か? 家族か? それとも我々なのか?
その問いに明確な答えはない。ただ静かに時計の針は進み、次の爆発音が遠くに響くのだ──。


