アントニオーニ『欲望』──写真が暴くのは現実か妄想か
- Yu-ga

- 5月20日
- 読了時間: 6分
更新日:5月23日

🎥 『欲望(原題:Blow-Up)』
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
撮影監督:カルロ・ディ・パルマ
出演:デヴィッド・ヘミングス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ他
公開年:1966年(イタリア)
ジャンル:アート映画/ 心理ドラマ
上映時間:111分
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1966年、ロンドン。スウィンギング・シックスティーズの真っ只中にイタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニは英語での初監督作『欲望(原題:Blow-Up)』を発表した。イギリス文化の一断面を切り取りながら、ヨーロッパ的思索の深みにずぶずぶと沈んでいくこの作品は一見するとファッション・スナップのようにスタイリッシュでありながら、その奥にあるのは視覚への疑念、存在への不信、そして世界の曖昧さを見せるのだ。
■“見る”ことの欺瞞
主人公トーマスは、若くして名声を手にしたファッション・フォトグラファー。スタジオにはスーパーモデルたちが次々に訪れ、刺激と退屈のあわいで毎日を過ごす彼は、物質的には満たされながらも精神的には空虚そのものだ。そんな彼が偶然撮影した公園での一連の写真。それがすべての始まりだった。
彼がフィルムを現像し写真を“引き伸ばす(=blow up)”たびに、背景の木陰に不穏な気配が立ち現れる。そこには銃を持った男の姿が写り込んでいたのか? 本当に殺人が行われたのか? それとも彼の視覚が勝手に意味を与えているだけなのか?
アントニオーニは“見る”という行為の不確かさを、写真というメディアを通して鋭くえぐっていく。光学的には写っていても、それが「真実」であるとは限らない。むしろ写っているからこそ“嘘”が立ち上がることもある。現代に生きる私たちはスクリーンやSNS上の無数の画像に囲まれているが、それらが本当に「現実」を映しているかどうか、どれほど信じ切れているだろうか?
■記録と妄想の境界線
『欲望』はミステリーの形式をとっている。だが、これは事件解決を目指すサスペンスではない。むしろ事件の実在すら不確かなまま、観客も主人公も“証拠”という名の写真に翻弄される。その不確実性こそがアントニオーニの狙いなのだ。
写真の拡大によって輪郭はぼやけ、対象の実体は失われる。モノクロームの粒子がただの抽象模様に変わっていく中で、観客の想像力が勝手に“意味”を作り出していく。アントニオーニはこのメカニズムを冷徹な視線で見つめる。現実は見た者の主観によっていくらでも変形される。真実よりも「解釈」が支配する世界。その構造はまさしくポストモダン的な「意味の迷宮」に通じている。
■静寂の中の暴力、虚無の中の美学
この映画が観客に強烈な印象を残す理由のひとつに、音と映像の扱いがある。アントニオーニは徹底して説明を排し、映像に余白を与える。無駄とも思える沈黙、間延びした動作。それらすべてが「見せる」よりも「見つめさせる」ことを狙っている。
特にラスト、何もない空間で繰り広げられる“見えないテニス”のシーンは象徴的だ。
誰もいないコート、存在しないラケット、聞こえないボールの音。それでも、トーマスはその試合を目で追い始め、やがて私たち観客も“そこにある”かのような錯覚を共有してしまう。視覚はどこまで現実を信じさせるのか。あるいは信じることこそが幻想なのか。
■ロンドンという舞台装置
本作の舞台となる60年代ロンドンは、もはやひとつの登場人物ともいえる存在感を放っている。ヴィダル・サスーン的なヘアスタイル、幾何学模様のミニドレス、ヤードバーズが出演するクラブシーン。どのカットを切り取ってもモダン・アートのような洗練がある。
しかし、アントニオーニの眼差しは決してカルチャー礼賛にとどまらない。派手なファッションと自由なセックスの裏にある“虚無”を、彼は執拗なまでに映し出す。大量生産された快楽とイメージの中で、人間性がどこかへ失われていく。アントニオーニはそんな現代都市の孤独をロンドンという都市の雑踏の中に沈ませてみせた。
■視覚に反映されるのが『欲望』なのか?
現代はかつてないほど“視覚”が氾濫している時代だ。スマホのカメラであらゆる瞬間が記録され、画像が情報の主たる担い手となった。AIによる生成画像やディープフェイクの問題は、私たちの「見ること」そのものの信頼性を問い直させる。
そう考えると『欲望』はまさに“今”の映画だ。写真は何を記録し、何を歪めるのか? 映像は現実の写しなのか、それとも幻想の罠か? この作品が50年以上経った今でも観る者に問いかけてくるのは、その鋭利な主題の普遍性にほかならない。
『欲望』は観る者の「視覚」そのものを揺さぶる稀有な映画である。写真を拡大するたびに遠のく真実。それでも私たちは目を凝らし、何かを“見よう”とする。その行為こそがアントニオーニが暴きたかった「欲望」そのものなのかもしれない。
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🎥 STAFF & CAST 詳細ガイド|『欲望』という奇跡のコラボレーション
🎬監督:ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)
言わずと知れたイタリア映画界の巨匠。『情事』『夜』『赤い砂漠』など、人間の疎外と都市の冷たさを哲学的に描いてきた作家性の強い監督。本作『欲望』は彼にとって初の英語作品であり、世界的評価を決定づけた一作でもある。
アントニオーニは本作で“現実とは何か?” “見ることとは?”という形而上学的テーマを写真という身近なメディアを通して描いた。結果、映画言語そのものを問い直すような衝撃作となった。
🎬撮影監督:カルロ・ディ・パルマ
(Carlo Di Palma)
アントニオーニとタッグを組んだ名撮影監督。イタリアの職人魂と60年代ロンドンのモダン感覚を融合させたカメラワークは、まるで写真のように計算された構図美を持つ。
特にトーマスが引き伸ばし作業を行う暗室のシーンでは光と影の扱いに神が宿っている。自然光と人工光を繊細にコントロールし「見えることの不確かさ」を視覚的に体現している。
🎬音楽:ハービー・ハンコック
(Herbie Hancock)
当時まだ20代後半だったジャズピアニスト、ハンコックが初めて手がけた映画音楽のひとつ。インプロビゼーション的要素とモーダルな旋律が交差し、映画の“間”や“沈黙”と見事に調和。
都市の喧騒と内面の空虚をジャズで表現したその手腕はのちの映画音楽におけるジャズ活用の流れを作ったともいわれる。
🎥 主なキャスト紹介
📸 デヴィッド・ヘミングス
(David Hemmings)|トーマス役
主人公のファッション写真家・トーマスを演じるのは当時まだ無名に近かったデヴィッド・ヘミングス。本作で一躍国際的スターとなり、その後も『バーバレラ』『深夜プラス1』『グラディエーター』などで活躍。
ヘミングスの演技は無感情と好奇心のあわいを漂うような独特の空気感があり、トーマスという“見ることに疲れた男”をリアルに体現している。
📸 ヴァネッサ・レッドグレイヴ
(Vanessa Redgrave)|ジェーン役
謎の女性ジェーンを演じたのはイギリス演劇界の名門・レッドグレイヴ一家の一員、ヴァネッサ・レッドグレイヴ。映画では当時まだ初期のキャリア段階だったが、その存在感は圧倒的。
彼女の登場シーンはまさに“虚構か現実か”という映画の主題を象徴する瞬間。彼女がトーマスのスタジオに乗り込み、写真のネガを欲しがる姿にはミステリー映画のような緊張感が漂う。
📸 ヤードバーズ
(The Yardbirds)|クラブ出演バンド役
本物のロックバンドが出演するという当時としては画期的な演出。クラブでの演奏シーンは物語の中で「唯一リアルに見えるエネルギー」として際立っている。
出演時のメンバー:
ジェフ・ベック(ギター)
ジミー・ペイジ(ギター)
キース・レルフ(ボーカル)
📸ジェーン・バーキン(Jane Birkin)脇役
後の“フレンチ・ミューズ”として名を馳せる彼女が、まだ10代で無名時代に出演。
印象的なヌードシーンはアートとエロスの境界を曖昧にした象徴的な場面。


