足るを知るとは更新日:3月29日老師が知足者富と云った。これは「足るを知る者は富む」ということであるがどうも腑に落ちない。それでは自身をアップデートすることができないではないか。と思う。僕は物事に対して〝まぁ、こんなもんでいいでしょ?〟が好きじゃない。それって大切な人に対しても同じ考えを持ってしまうと思うから。満足感には切りがない。でも、この言葉は最後までやり切ることのできない人のいいわけみたいだな、と思う。
オールドタウンの思い出更新日:4月5日昔、ロサンゼルスのNokiaシアターへ撮影へ行った折に、小さなプロペラ機に乗ってサンディエゴまで飛んだ。サンディエゴでは空港からわりかし近くにあるツナ・ハーバーパークのフィッシュマーケットのレストランで食事をした。僕はもちろんアジア人として入店したわけなんだけれど、通された席は僕とは違う大陸系アジア人達が大勢でとても下品に大声で話している近くであった。カリフォルニアの人たちにはアジア人として僕も同じ括りなのだ。僕は恥ずかしくて居た堪れなくなり、ウェイトレスに「僕、日本人だよ。あの人たちは・・」と説明しチップを渡して席を移動させてもらった。その後、そのウェイトレスは僕の近くにいてオーダーなどをすぐに聞いてくれた。チェックの時にミッションベイへの行き方を尋ね帰ろうとすると、僕に連絡先を書いた紙を渡してくれた。この町でわからない事があったらなんでも聞いてねと。表情が見えない電話は流石に自信が無かったので、オールドタウンについてその場で尋ねると、その2日後にオールドタウンに一緒に行くことになった。僕らはストロベリーのアイスクリームを食べながらオールドタウンの中を朝から夕方までデートした。今でもあの子の笑顔は忘れられない。日本に戻ってからも暫くはメールでやり取りしていたけれど、今頃何しているのかな。彼女は白人の血が強い子だったけれどベネズエラから出稼ぎに来ていると言っていた。今、彼女が幸せに暮らせていますように。
16歳の頃・友人16歳の頃、原宿の洋服屋でアルバイトをしていた。そこで出会った同い年の友達。名前は達也。彼は愛媛から出てきたって言ってたっけ。彼は暫くして愛媛に帰っていった。彼とは仕事が跳ねた後に明治通り沿い、渋谷に近い場所にあった店にモスコミュールをよく飲みに行った。たった1年くらいの付き合いだったのに今でも彼に会いたいなと思う。長い間ずっとそう思っている。でも、僕が会いたいのはきっと16歳のあの頃の達也なんだと思う。